あじーる! 創刊号
制作
あじーる制作委員会
発売
2012年5月6日
判型
A5判
総ページ数
150ページ
価格
800円
販売所
文学フリマ <参照>電子書籍 DL-MARKET
<参照>
大衆と少数派の違いは何か?それは自身が「自覚的エゴイスト」か否かである。 本稿は大衆の性質をニーチェ、 シュティルナーと言った先人達の考えを参照しながら 考察し、また「無自覚なエゴイスム」に付随する「消極的ニヒリズム」からの脱却を 志すものである。
あじーる!的「少数派」を問い直し、あじーる!が果たす 役割としての「承認」について考えます。
学校に通ふ中での体験など日常体験から感じた違和感を 論じつつ、拙劣なる文章にて民主主義批判及び既存体制 の爆砕を訴ふ 参考:スクールカースト(wikipedia)
〜来るべき闘いに備えるために〜
東日本大震災以後、脱原発とTPPを核に結集しつつある政治 的運動体を考察し、ファシズム運動や昭和維新運動と照らし 合わせながら、思想的分析を行った小論である。
この文章は「現代と過去との対話」という営みの一環です。 何か一つのことを考える時、実は過去にその事例があって、 それを紹介してそこから私達は何を考えられるのだろうか、 そんな素朴で単純な試行の一つです。それほど難しい話では ないと思いますので、肩の力を抜いて読んでいただければと 思います。 参考:ニ・二六事件(wikipedia)
私の文は「民主主義と不愉快な仲間たち」です。 いわゆるエッセイのようなもので、私たちの社会 に存在するいくつかの現象について、少し変わった 見方からアプローチしようと試みた格好になっています。 やや一貫性に欠けた文章ですが、気晴らしに読んで 頂ければ幸いです。
現代に於いて時務的且つ普遍的問題として先ず「技術とは何か」を考えねばなるまい。 併し技術的なものに回収されぬよう技術を語るのは至難ではないだろうか。 本稿『技術に従いつつ、抗して』では、マルティン=ハイデガーの『技術への問い』 を片手に「技術それ自体」について省察してみたい。
1910年代、リップマンは民主主義の行く末について憂鬱であった。 しかし、何がそんなに不満なのだろう?なぜ民主主義が悪いのだろう? それは杞憂なのではないか?はたまた民主主義は破綻するのか・・・? リップマンと民主主義の本質の一面を探った論考
黙っていることが許されないこの世界で
20世紀を代表する芸術運動に「シュルレアリスム」がある。 この運動は、無意識の探求がクローズアップされるが、シュルレアリスト達が 共産主義に傾倒した事については紹介される事は少ない。 田淵晉也氏は「シュルレアリスムは、詩と芸術と政治を一体化し、 それを一体として、集団で真正面から取り組んだところに、歴史的 な意義がある」と主張するが、本稿はシュルレアリムの指導者であ るブルトンを中心として、この運動の左傾の歴史を述べていくものである。
何故アナキズムに興味を持ったのか、どんな本を読んできたのか、 どんな人を見てきたのか、どんな世界を理想とするのか。
短編小説「煙管」では、金無垢の煙管をめぐる顛末をとおして、 「江戸城」と「加州百万石」という権力構造を根本において支えている 各個人の相互的確証が解体されていく様相が語られる。 また、その過程における「お坊主」たちのふるまいによって、 徳川幕府や武家社会の自己矛盾性が明らかになる。 参考:芥川龍之介(wikipedia)
「大衆」とは、「個人」という名のドーナツにおける、ぽっかり空いた穴である。